昭和四十五年六月八日 朝の御理解
御理解第六十一節 「神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな。」
今日は、六十一節を字句的な説明といった事ではなくて、六十一節の御理解の持つ内容とでも申しましょうか、そういうようなところに触れてみたいと思います。
昨夜、総代会でございました。御祈念を【 】に終わってから私も参加させてもらった。私は、こういう事を皆さんに聞いて頂きました。「解脱」という言葉がありますね。これは仏教から出た言葉だと思います。仏教的な意味に於いては、私は勉強しておりませんからその事については知りませんけれども、私が感じておる意味に於いての解脱ですね。それはいわゆる難儀から解放されると。私共が解脱をさして頂くという事は、脱皮という事もありましょうね。脱皮する。いわば抜けきる。諸々の難儀から解放される。これが私は解脱をした人の姿だという風に思うのです。ですから、とにかくお互いがひとつ解脱を図らなければならない。痛い痒いがあってはならないし、あれが無いこれが足りないという事であってもならないし、いうなら充ち溢れる程に足りたところのおかげ、それでまあいうなら暑くもなければ寒くもない、何とも有り難い、いわば境地。「欲しいとも思わぬ雨だれの音を聞く」と思うてみれば思うてみる程におかげ頂いたもんじゃあるなぁと。現在の自分という者は、あれが欲しいこれが欲しいというものすら無くなった。こんな楽な境地はなかろうと思う。ここまで自分の気持ちを育てて頂いたという事は、これは信心以外の事ではとても出来る事ではない。ここにもあります「真の道を踏んでいくのぞ」とおっしゃる。信心させてもろうて真の道を踏んでいきよりましたら、段々欲しいものもなくなり思う事もなくなり、有り難うて有り難うてという三代金光様のお言葉がございますねぇ。そういう私はおかげ。じっと雨だれの音を聞く。自然が奏でるところのリズムというものが、それこそ名曲を聞くような思いでずーっと聞き入っておれれるという境地。こういう風に申しますと、これは大変高度な、まあ勿論高度なものですけれども又容易とも思われません。けれどもですね、信心させて頂く者の願いというものがね、ここに置かなければならないという事です、思いを。そこはいわゆる解脱したと。まあ一生懸命努めてみたけれども、自分の思うごとなるもんじゃないと。まあどうせなるごとしかならんのだから締めとりますといったものでもないですねぇ。よく似てますけれども、そうじゃない。いくら欲しいと言うても求めましても、与えられんのですからもうなるようにしかならん、神様任せにさえなっておけばいいと。もうそこに諦観ですねぇ。いわゆる諦めそういう諦めとは全然違ったもの。さっきも申しますように充ち足りたものです。解脱をするという事を、私は信心の無い時代から信心にならせて頂くという事だと思うのです。いわゆる神信心のなかった時代から神信心に入る。神信心に入って自分の願い、自分の思いだけを神様に聞いてもろうて申しのべて、いわゆるお願いをしておかげを頂いていくという、そういうところから段々いわゆる神より金光大神にいつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞとおっしゃる、その尽きぬおかげの頂けれる話を聞く訳です。金光教の信心は。だから尽きぬおかげの限りなく頂けるおかげの話を聞くという事はね、どういう事かというと、私共が解脱していくところの道とでも申しましょうか。一段一段信心が進んでいく高められていくという事は一段一段自分の内容から、いうなら我情我欲がはずれていく。ここで皆さん、どうでもひとつ皆さんが思い込んで頂かねばならん事は、信心のなかった時代から信心のおかげを頂き、尽きぬおかげの頂けれる話を聞くようになる。それはどこに目指しがあるか、目的があるかといわゆる信心のある者と無い者です。信心のある者と無い者は、親のある子と無い子程の違うと仰せられるが、只お願いをしておかげを頂くという事が信心しておるおかげという事じゃない。親のある子ほどの違いというのは、信心の無かった時代と信心を頂くようになってからの内容というか本当な事が見えてくる。ですからいわゆる物の見方考え方が本当な事になってくる訳ですから、全然違った事になってくる。その全然違ってくるようになってくる事をね、願いとした信心でなからゃいけんです。信心の無い者と同じような思い方、同じような見方をしておる間は、お互いが焦点をそこに置いてないからです。只信心ちゃ、おかげを頂く事だけ願う事だけを信心のように思うておるところに、そこんところがいわゆる解脱を願う信心、脱皮を願う信心、いうなら人間から神様へ向こうていくその過程を私は信心と思う。
私は思うですねぇ。どうでもですねぇ、いわゆる解脱の後のおかげと言うか、心境というもの、本当に難儀から解放するという事なんですからねぇ、解脱という事は・・・。こげな素晴らしい境地というか、目的目指しての信心。そして日々の中にです、少しずつなる程信心ちゃ有り難いなあ、なる程信心ちゃ勿体ないものだなあというものがです、体験されていかにゃいけん。なる程、自分の我情というものがはずれていく楽しみ、喜びというものをです、味おうていく信心。それを信心とは、自分の思う事を頼む事、自分の難儀を取り除いてもらう事が信心のように思うておる。そこでね、いわゆる御神意を体験させて頂く、この辺の言葉にね「やぶれ饅頭」というのがある。それはね、どういう事かというと皮がもてんという事。例えば情けない事がある、腹の立つ事がある。本当にあそこの奥さんばっかりは出来た人じゃある。脇から見よったっちゃ側の者が腹が立つ。いわゆる皮がもてん。がわの者がもてんごとある中に、よう腹も立てらっしゃらん。かえってあそこんところを喜んで受けていきござる。そういう場合にがわがもてんという。何故そういうですねぇ、それこそ第三者の方が腹の立つごたる中にです、例えば腹を立てんで済む、これは腹を立てるとか立てんとかいうその事だけじゃないですよ。様々な事、いうならばふに落ちないごたる事が起きてくる訳ですねぇ。合点がいかん事が起こってくる時にです、どうしてじゃろうか等と思わずにね、御神意を悟り御神意を分からしてもらうと、その事に対してお礼が言えるような心。ですから本当な事が分かるからお礼が言えるのですよ。私は信心の解脱の稽古は、そのようなところから分かっていかなければ駄目だと思う。ちょいとあちらの嫁さんは、よう出来ちゃる。もうああいう例えば難儀な中にそれこそニコニコとして受けていきなさるが、もうほんに脇の者の方が腹が立つ。そういう時にがわの方がもてんと。だからがわの方がもてん事をやぶれ饅頭という。ところがそういうやぶれ饅頭のごたると程、実をいうたら饅頭の中では美味しかつでしょうが。もうあんこがあふれよる。実をいうたら、がわがもてんごたるような事、例えば今申しました第三者の方が腹の立つような辛抱の出来ない中にこそです、本当の美味しさというか味というか、やぶれ饅頭的なおかげがあるのです。それを知らん間、信心のなかった時代は、その事がもうそれこそ腹が立って腹が立ってたまらんという事になっておったのが、本当な事が分からして頂いてきたら、がわの者の方がもてんごとある中にです、かえってやぶれ饅頭を食べる程しの素晴らしい味わいが分かっていくという事。それを神愛が悟られていくという事。だからこの辺のところを早うひとつ自分のものにしなければ駄目ですよ。その位の事が例えば五年も十年もかかっておるような事じゃあ。尽きぬ話を聞いているじゃないか毎日。それを日々の体験、本当にふに落ちないようなところを神様の御神意であろう、御都合であろうという風にして頂いていきよると、こういうおかげが受けられるという体験を、繰り返し繰り返し頂いていくのですから。ここのところを分からなきゃいかん。ですから第一そういう信心、そういう修行に取り組まなければですね、親のある子と無い子程の違いという事になってこんですよ。信心させて頂く者は。そうでしょう。ひとつの問題が起こってくるとですねぇ、信心の無い時もその事で腹かきよった。信心があるごとなったっちゃ、やっぱその事で腹かきよるなら親のある子と無い子の違いはないじゃないか、同じじゃない。これは心配でもそうです。信心の無かった時代に心配いよった事が信心があるごとなったっちゃ、心配しよるなら親のある子と無い子程の違いはないじゃないか。
私は、今日は解脱という事。難儀から解放されるという事。もう既にそこに難儀から解放されておる姿がそこにあるでしょう。そういうところをね、繰り返したどらせてもらううちにです、そういう心の状態が思う事もなくなり、欲しいものも無くなり、有り難うて有り難うてという事になるのです。
昔、大変な親孝行の人があった。毎日山に行っては、たき物をとってそのたき物を町に売っては暮らしを立てておるという、親子であった。お父さんというのが大変なお酒が好きであった。そこでその子供は、毎日山にたき物を取りに行く、そしてそれを町に売っては、帰りには父親の好きなお酒を買うて帰る。お父さんが待っておられる。お父さんが喜ばれる顔を見るのが、まぁ唯一の楽しみ。私は親孝行とはそれだと思うなぁ。本当に親の喜ぶ姿を見て、自分も喜んでおれれるという心。それが私は親孝行だと思う。来る日も来る日も、そういう毎日を繰り返しておった。ところがある日、足を踏み外して谷間に落ちた。ところが落ちたそこに何とも言えん、それこそ酒の臭いがぷんぷんする。おかしな事があるもんだ、不思議な事があるもんだと思うて、その水をすくってみるとね、何とそれが黄金色したお酒であったというのである。「これは有り難い」と腰には、いつもお酒を買うて帰らんならんからひょうたんが下げてあるから、それに水のお酒を汲んで帰った。お父さんが大変喜ばれた。「近頃の酒は、特に又いいお酒のごたるが、どういう酒だろうか」と言うて尋ねられるから、実はお父さんこうこうだとこう言う。びっくりされたお父さんがそれを隣近所の人に、とにかくこういう不思議な事がある、親孝行の心に免じられた神様がこういう事があると言うて話された。その話がそれこそ全国津々浦々に広がったというのである。不思議な事があればあるもんだ。至誠天に通ずる、真は天に通ずると言うが真からの親孝行の心にこういうような事があるという話が、時の帝天皇様のお耳に達した。天皇様も大変に感動されましてね、その孝子を呼ばれてたくさんなごほうびを下されたというのである。その事から年号も養老という年号に改められたという程しに、その事がみんなからたたえられる事になったというのです。養老の滝の話です。
信心をさせて頂いて何を分からして頂くかと、尽きぬ話の中にはどういう話があるかと、いわゆる天地の大恩であります。天地の親神様のいわゆる大恩、いうなら天地の親神様の御神徳。信心する人の真の神徳を知らぬ事と、御神訓にありますね。信心をさせて頂いて天地金乃神様の御恩徳、その大恩を分からしてもらう。お道の信心とは、その大恩に報い奉る生活。それをお道の信心と言うのです。 天地の大恩が分からしてもろうて、その天地の大恩に報い奉る生活、いうなら養老の滝じゃないけれども、親神様の思いが分からしてもろうて、親神様が何を私共に求めてござるかと。何を分かってくれよと言うてござるかと、その思いが段々分からして頂いて、その思いにもうやむにやまれん思いで添うていこうという心が、私、お道の信心者の心でなからなければならんと思います。
もうひとつ親孝行の話があります。名の高い親孝行の人があった。国の殿様が自分の納めておる国の中から、親孝行な人を選び出してごほうびを下さろうという事になった。たくさん、どこにはどういう親孝行な人がある、ここにはこういう親孝行な人があると、まぁみんなが推薦する訳です。それをお上から来てから全部調査が始まりました。どこどこの村の何々さんというのが推薦された。やはりお上からいわゆる実地調査ですねぇ、本当に親孝行かどうかを見に来た。丁度その家の前までやって来た時に、そこの子供というのが野良の働きから帰って、ようやく家に帰って来ておるところであった。表の上がり縁に腰をかけて・・・。そしたら裏から老母、いわゆるお母さんが出て参りましてねぇ、湯桶を持って息子の前に出て来て、それからお母さんが、はいておるわらじやら脚畔やらを取ってやった。それから息子の足を洗い出しなさった。それこそ表で見ておった調査に来た人達がびっくりした。親孝行とは似ても似つかん。親孝行どころか、親にわらじを取らせたり、親に足を洗わせたり、こういう親孝行というのはまっかな偽りだとこういう訳なんです。それから尚見ておると、お母さんが丹念に足を洗うてやんなさる。「今日も疲れただろう」と言うてきれいに洗うてふき上げて、それを「どうも有り難う」と言うて息子さんが上に上がられる。そこでその調査に来た人達がね「親に足を洗わせる事はどういう事か。それが親孝行者のする事か」と。「それはする事かしない事か、私は知らないけれども、とにかく私はね、もう親の思いに添いたい思いでいっぱいだ」と言うて話した。親の思いに添いたい親が喜んでくれる事ならどういう事でもあえてさせて頂く。私が一日一生懸命働いて帰りますと、母が一生懸命の思いで待ちかまえておってくれます。もう帰る頃になるとちゃんとこげんして毎日毎日お湯を湧かして、私の前に運んでくれます。だけではない。とにかく自分がわらじを取ってやり、自分が足を洗うてやりその親の姿を見るのが楽しみだと、親が喜ぶ、というようなお話なんです。だから親孝行というのは、決してなでたりさすったりするというのではなくて、なでられたりさすられたりする事の中にも親孝行があるという事。いうならば親孝行というのはね、ほんの足元にあるという事。手元の所に親孝行はあるという事。見易う見易う親に喜んでもらえる心を、私は素直な心といつも言うております。素直にて雲の上まで登る道がある。「さあ、足を出しなさい足を洗うてやる」と「いや親に洗わせちゃ勿体なか」どちらが親孝行でしょうか。「あゝそうね、そんなら洗うてもらおう」と、足投げ出させてもらう。洗うてやって親が喜んどる。それこそ親孝行じゃないでしょうか。親孝行には、そういう養老の滝的な親孝行と、今私が申しますような親孝行がある。養老の滝の方は、一生懸命のいわゆる真、真心を尽くし表していくという事なんです。親に対して。いつもずーっと親に足を洗うてもらうという事ばっかりではない。その反面にはです、親孝行とはほんの手元足元、側にあるという事。と同時にです、只今申しますように、やむにやまれん思いがです、親の好きなお酒を買うて帰らしてもらう。その中に親孝行がある。
私は、金光大神は尽きぬおかげの頂けれるという話というのはね、そのようなお話だと思う。具体的に言うた。天地の大恩を教えて下さる。その天地の大恩に対し奉って応えさせてもらう生活を教えてもらうのであって、願え願え願うからおかげを頂いて帰ってくれという事じゃない。そこからね、神も喜び氏子も立ち行き、親も立ち行きゃ子も立ち行く、あいよかけよの道という。そういう私共が一念発起させてもらう時にです、神様が又、私共の上に一念を起こしそれこそ氏子おかげを受けてくれよという一念を、神様が私共の上に燃やして下さる。そこに頂けるのが本当のおかげ。そういうところまで、いわばたどらせて頂く事の為にです、そういうところが願いであります信心であるゆえにです、信心のある時と信心の無かった時の、いわば考え方、物の見方というのがそのように変わってこなければならん。そこにはね、いくら頼んでも願ってもどうせなるごとしかならんのだから、もう締めとりますと言ったようなものではなくてです、もうそこには日々確信ずけられていく、いわば神愛が分かれば分かる程、分かってくるおかげ、絶対信、おかげになるという信念。只雨だれの音を聞いて欲しいと思わない、と。欲しいと思わないでもね、最高のおかげを神様は下さるという事を信じておる。今見たり感じたりするところは、それこそ第三者から見た方が歯痒い、側から見た方がもてんごとある中にあってもです、そこでそれをがたがた言うたり又は腹を立てたりする事よりも、そういう事柄の中にこそ神愛がある。分からして頂けば、そこにこそやぶれ饅頭的な美味しさがかえってあるんだという事をひとつひとつ分からして頂くんですから。ですから、只雨だれの音を聞いてからなるごとしかならんのだから、もう思う事もない欲しい事もないというようなものではなくてです、欲しいと思わんでも、あゝあって欲しいこうあって欲しいという事は思わんでもです、雨だれの音、いわゆる天地自然の働きのひとつの働きというものをじーっと耳を澄まして聞き入れれる信心。そこから真意を悟ろうとする姿勢。そこからです、私はおかげが頂けていく信心。そこに信心の無かった時代、信心をさせて頂くようになってからのおかげの差というものをです、そこのところを人に伝えていくという信心。本当な事を、そこに本当に自分が体得させて頂いて分からせて頂いて、それを人へ伝えていくということ。只お願いをしたらおかげを頂いたという事ではなくてです、自分の心がそのように脱皮を続けていく。自分の心が本当の意味に於いての解脱を目指しての信心。だから信心とは、そこを目指す事だとひとつ思わにゃいかん。信心の無い世界、信心のある世界。いわゆる信の世界というものはです、ハッキリ区別がつかなきゃけいけん。それにお参りは毎日しよるけれども、信心もある者も無い者も同じような考え方、やはり我情我欲でいっぱいだという事であってはです、もう信心を頂いておる信心者の値打ちはないという事になります。場合には馬鹿を見る事もありましょう。信心しとるからこそかえっての難儀を感ずる事もありましょう。けれどもそのひとつひとつをです、素直な心で受けていき、やむにやまれんという積極的、いわゆる真心をです、真をもって表していく生き方をです、行じていくうちに本当の神様のお心が分かる。その神様のお心に添い奉る生き方の中に、いままで感じた事のなかった世界が開けてくる。そういう自分のおかげを頂いておる姿、脱皮をしておる姿をです、人にも聞いてもらう。そしてこういう道があるという事を教えていくという事が、神様へのお礼ぞという事は、神様がお喜び下さる事だとこう思う。そのお礼のあり方の中には、先程親孝行の話を二つ致しましたねぇ。もうほんな手元足元の所に親に喜んで頂く道があるという事。
信心の修行の心が段々出来てまいりますとです、それが積極的に自分の思うております思い、思うております思いだけではない、思うておる事、その真心を真をもって表していくという、いわば奉仕の生活とでも申しましょうか、そういう生活が出来るようになり、それこそ神様がそういう生き方を見逃し給うはずがない。そこにいよいよ感じさしてもらうのが真の神徳であり、真の神徳が分かっていく。いわゆる真の神徳が又身についていく。そういうおかげをお互いが頂いていかなければいけません。
三代金光様が十三才のお年から御結界を御奉仕になられた。お父様が亡くなられた後を受けられた。まぁだ高等小学校を中途退学なさってお座りになった。それこそまぁだ十二、三のそれこそ初めの間は、辛うて辛うてよう泣きましたとおっしゃる。親様が座っておれば楽と仰せられましたから座っておりました。そしたら段々思う事もなくなり、欲しいものもなくなりと述懐しておられます。だから信心の中には、やっぱ初めの間は辛うて辛うてよう泣きましたというところがあるんです。それはそうですねぇ。いわゆる人間の世界から信の世界いわゆる解脱をして、そこにある有り難い世界に変わっていくのですから。辛うて辛うてよう泣きましたが親様が座っておれば楽じゃと仰せられてありましたから、泣く泣く辛抱しいしいに座っておりましたら、思う事もなくなり欲しいものもなくなり、只有り難とうて有り難うてという境地が開けてくる。いわゆる解脱の世界。けれども、もうひとつその向こうのところに、最後に「神より上になるな」というところがありますよ。そのような最高の境地を開かれ、最高のおかげを受けておられてもです、有り難うて有り難うてと言うておられる。そのお礼の足りぬお詫びばかりを致しております、と最後に結んでおられます。ここにはね、もう絶対神より上になろうなんてな横着さと言うか、実意を欠いだといったようなものは、さらさらみじんもないものを感じます。もう自分はこういう最高の境地、こんなに有り難い境地が開けたと言うて、もう自分が神様になったとか思うてござらん。こういうおかげを頂いておるのにお礼が出来ない、お詫びばかりを致しておりますと言うて七十年間お座り続けられた。十三才から八十三才までもお座りし続けて下さった。そういう例えば生きた見本を私共は、ついこの頃まで見たり聞いたりしてきたんですよ。それが金光様の信心のいうなら生きた姿なんですよ。だから私共は、そこまで行けるという事は出来ないに対しましても、目指すところはやはりそういう私共は、信心の世界を目指しての日々の信心の稽古でなければならないという事ですよね。どうぞ。